カーネル・サンダースの人生・名言 性格はイメージと違う!

出典 : mikegi / Pixabay

人生に遅すぎることはない!

そう思わせてくれるのがケンタッキーの創業者

実業家のカーネル・サンダースさんです。

彼はどのような人生だったのでしょうか?

ケンタッキーにあるおじさんの銅像や広告・・・

とっても優しそうなイメージですよね!

でも実際は・・・

この記事ではカーネル・サンダースさんの考え方・人生を学びましょう!

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目次

カーネル・サンダースのプロフィール

1890年9月9日生まれ アメリカ合衆国の実業家

出生地:インディアナ州ヘンリービル

本名:ハーランド・デーヴィッド・サンダース

身長:178cm

ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者

カーネルの意味は?

なぜカーネル・サンダースと呼ばれているのでしょう?

その意味はアメリカのケンタッキー州に貢献した人に与えられる

「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号のことなんです!

この記事では、本名は長いのでカーネル・サンダースと呼ばせていただきます。

カーネル・サンダースの性格

ケンタッキーの店頭では、毎日あの優しい笑みを私達に届けてくれていますが

実はかなり神経質らしく、口癖はいつも

「ほっときやがれ!」

だったそうですよ・・・。(笑)

その他にも○○や○○・・・ここでは言えません。(ご想像にお任せします)

「分かるじゃろ?」

これも口癖だったようです、カーネル・サンダースの素顔が見えてきましたね!

カーネル・サンダースの幼少期

カーネル・サンダース 5歳

父が他界

母が缶詰工場でカーネル・サンダースを含む3人の子供を養う。

カーネル・サンダース 7歳

初めてパンを焼く。

上手に焼けたので工場で働く母にパンを届けに行きます。

母や工場の同僚たちから美味しいと絶賛され、

美味しいもので人を幸せにする喜びを知る。

のちにKFCの原点になっていく。

カーネル・サンダース 10歳

母の手助けをするために農場のお手伝いアルバイトを始める。

森の木を切る仕事だったが、まだ子供のサンダースは

森の動物たちに惹かれ遊んでしまい、雇い主に叱られる。

そして、母からも叱られてしまいます。

母に喜んでもらおうと働きに出たのに、逆に悲しませる結果となってしまいました。

サンダースは自分の胸に仕事は最後までやり抜こうと決心しました。

カーネル・サンダースの職歴

ケンタッキーで有名なカーネル・サンダースですが

料理人として人生を歩んでいるのかと思えば意外にも転職の嵐です。

●農場の手伝い

●サザン鉄道

●ノーフォーク・ウエスタン鉄道

●イリノイ・セントラル鉄道

●弁護士実習生

●ペンシルバニア鉄道

●保険外交員

●フェリーボードの経営

●商工会議所の秘書

●ランプの製造販売

●ミシュランタイヤのセールスマン

出典:明日が見えないときキミに力をくれる言葉あります!絶望に効く特効薬
著者:ひすいこたろう 
2013年10月25日 初版第1刷発行

しばらく鉄道系で仕事を転々としていると思いきや

急に弁護士業?!

合わなかったのでしょうか、また鉄道で働いていますね。

と思いきや、その後もジャンルの異なる様々な職を転々としていますね。

年齢を偽って軍隊に入っていたこともあるそうです。

カーネル・サンダース 初めての起業

出典:Falkenpost / Pixabay

30歳後半になり、 「自分の将来は自分で決めよう」と

カーネル・サンダースはガソリンスタンドの経営を開始。

その後、世界的な大恐慌で一度ガソリンスタンドが倒産するも

1930年に再びガソリンスタンドの経営を再開します。

これが、カーネル・サンダース40歳くらいのときのことです。

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できることはすべてやれ

ガソリンスタンドで、当時は一般的ではなかった窓拭きサービスを開始

様々なサービスを提供していくなか

「他にできることはないか?」とお客さんに聞いてみたところ

美味しいお店がないか尋ねられることが多かった。

しかし、周辺に美味しいお店は無かったため、なんとカーネル・サンダースは

ガソリンスタンドの倉庫に椅子を置き、「サンダース・カフェ」を開始します。

できることはすべてやる。

かっこいいですね!

カーネル・サンダースの名言

「ワシはただ二つのルールを守ってきただけなんじゃよ。

できることはすべてやれ。

やるなら最善を尽くせ。

これが何かを達成するための唯一の流儀じゃないかな」

ーカーネル・サンダースー

カーネル・サンダース 65歳

サンダースカフェは評判が良く、それなりに繁盛していました。

しかし、カフェの近くに出来たハイウェイの影響で車の流れが激減します。

そして閉店を余儀なくされました。

再出発

どうするか悩んだカーネル・サンダースは

フライドチキンのフランチャイズ契約を思いつき

カフェで好評だったフライドチキンレシピの売り込みを開始します。

しかし、「NO」と断られること1009回!

とんでもない軒数を回ったことが分かります。

ピート・ハーマンとの出会い KFC一号店

ようやくカーネル・サンダースの努力の結果

第一号店のケンタッキー・フライドチキン(KFC)が開業されました!

KFCというブランドはピートハーマンによって提案されました。

カーネル・サンダース 73歳

KFCは世界へと拡大され、チェーン店は600店舗以上になりました。

なかでも日本は

「私の考えていた通りのやり方を守り、理想のかたちを受け継いでくれている

日本のKFCが一番気に入っている」

と日本のKFCは高評価でした!

ケンタッキー・フライドチキンの現在

世界80ヶ国に拡大し、店舗数は1万以上になりました。

才能がなくても成功できる

カーネル・サンダースは

「自分に特別な才能があったとは思えない」

「成功できた最大の要因は一生懸命働いたことだ」

と語っています。

才能がないことを言い訳にしてはいけませんね。

カーネル・サンダースの人生から学ぶこと

新しいチャレンジをすることに遅すぎることはない

彼は65歳からでも、KFCをここまで大きくすることができました。

何かを始めるのに遅すぎることはない!

「もう歳だから」と言い訳するのはもうやめましょう!

徹底的にやる。

できることはすべてやる、最善を尽くせ。

一度それを始めたなら徹底的にやりましょう。

エッセンシャル思考をご存知でしょうか。

複数のことに取り組み、どれも中途半端に終わるより

1つのことを徹底的にやれば、突き抜けることができます。

今できる小さなことをすべてやりましょう!

あなたにだって成功する方法はいくらでもある、分かるじゃろ?


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